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ターミナルケア

  • 2016年03月07日 16時35分
    ブログ

2016年3月6日、15年5カ月の長い年月を上井草園で過ごした女性がご逝去されました。

明治45年生まれの104歳、上井草園で最高齢の方でした。

今日は上井草園でのターミナルケアについて書かせていただきます。

この方はご家族に縁の薄い方で、上井草園に入所される前までずっとお一人暮らしをされていたそうです。

2000年9月に上井草園に入所。

行事などを楽しんでくださっている素敵な当時の写真がたくさんあります。

特にお着物がお好きだったようで、納涼祭の時にはご自分でコーディネートした浴衣を着ていらっしゃいました。

 

ずっとお元気でお過ごしでしたが、5年ほど前から徐々に食事量が少なくなり、それまでとは体調が著しく変化しました。

発熱をきっかけに入院。

口からお食事を摂ることができなくなり、経管栄養で栄養摂取することになりました。

その後約1年間経鼻経管栄養で食事をされていました。

 

1年経ち、徐々にお話をしてくださることが増え、以前のような笑顔を見せてくださることが多くなりました。

職員の中で「もしかしたらまた口から食事ができるのでは?」という気持ちが強くなりました。

それをきっかけに、上井草園の全職員と主治医、歯科医師で話し合いを重ね、口から栄養を摂ることを再開することになりました。

もちろん、リスクもたくさんありました。

歯科医師に嚥下内視鏡検査をしてもらい、飲み込みの状況を確認しながら慎重に進めました。

食事に集中しやすい場所で食事を摂っていただくこと、食べやすい形状、温度など職員で話し合いを重ねながら、徐々に食事量を増やせるよう取り組んでいきました。

話し合いの記録を改めて見返すと、毎週カンファレンスの場を設けていて、かなり時間をかけて介護方法を検討していたことを実感しました。

 

そして昨年冬頃から再び食事量が少なくなりました。

今度は寝ている時間も長くなってきました。

ターミナルケアに移行するきっかけの一つとして、食事量の低下、体力の低下などがあげられます。

高齢ということもあり、「いつ何があってもおかしくない」という状態になりました。

しかし、低空飛行ではあったものの、なんとか食事摂取が続けられまた1年が経ちました。

 

2016年1月、いよいよ主治医から「看取り期の状態である」と話があり、個室へ移動しました。

食事時も起きられないことが多くなり、1日1食食べられるかどうかという状態になりました。

超低空飛行状態になって2カ月。

3月に入ってからほとんど食事が摂れなくなりました。

連絡できる家族、面会に来てくれる家族は誰もいません。

上井草園の職員だけで最期を看取ることになりました。

たくさんの職員が一日に何度もお部屋に伺いました。

寝ていることがほとんどです。

この状態になると私たちにできることは「見守ること」だけです。

呼吸は穏やかかな、起きている時間はあるかな・・・。

色々な思いを胸にお部屋に伺いました。

 

3月6日、午後からかなり呼吸状態が悪くなりました。

私たちはやっぱり「見守ること」しかできません。

寒くないかな、暑くないかな、お顔はきれいかな・・・。

できることは限られていますが、できる限りのケアを行いました。

そしてその日の夜、天寿を全うされ、穏やかに旅立たれました。

3月7日、20名ほどの職員で玄関からお見送りさせていただきました。

休みの職員も遅番の職員も早めに出勤して集まりました。

誰に指示をされたわけでもありません。

自然に多くの職員が集まりました。

私たち職員にとってそれだけ大きな存在でした。

 

一度経管栄養になっても、また口からの食事を再開できたこと。

食事量が少なくなって、体力が低下してからもたくさん笑顔を見せてくださったこと。

とても良い勉強と経験をさせていただきました。

 

まだお別れしたばかりで淋しい気持ちでいっぱいですが、それ以上に感謝の気持ちでいっぱいです。

謹んでお悔やみを申しますとともに、ご冥福をお祈り致します。

 

 

【上井草園:関口】